MOVIE

スケートボードと
ヒップホップへの
愛が詰め込まれた作品。

THE PLAYLIST

世界で最も勢いのあるカルチャーを
作り上げた不良たちの物語

無法地帯と呼ばれていた1987年のNYダウンタウン。そこには自分たちの遊び場所を求めて、ストリートにたむろするスケーターの不良少年たちが居た。彼らは88年、クラブ・マーズの開設により、それまで距離のあったヒップホップの連中とも積極的に関わっていく。この多種多様な交流の場をきっかけに、人気スケートブランドのズーヨークやシュプリームも立ち上がった。やがて95年、地元スケートキッズのリアルな生態を捉えた映画『KIDS/キッズ』が社会現象級の大ヒット。こうしてNY流儀のストリートカルチャーは一気に世界へと拡大するのだが……。

INTRODUCTION

「あの頃のニューヨークが記録されて良かった。もう戻ってこないから」
――ロザリオ・ドーソン

1990年代のニューヨーク。すべてはここから始まった。いまや世界を席巻するメインカルチャーにまで成長を遂げたヒップホップとスケートボード――当初は反目し合ってもいたふたつのストリートカルチャーが、やがて出会い、手を結び、爆発的な融合を果たす。音楽、ファッションなど、あらゆる若者文化を呑み込み、コアからマスへと拡大していった約10年間。この映画はそんな勃興と隆盛の記録と、巨大化の過程から生じた光と影の“現代史”を、貴重な映像と数々のキーパーソンたちの証言で振り返る傑作ドキュメンタリーである。

映画は1987年のNYCから始まる。いまや伝説のストリート・スケートの聖地として語り継がれるブルックリン・バンクス(09年に閉鎖)に集まってくるスケーターたち。そこには少数ながら黒人やラテン系の少年たちも居たが、当時のラップ界はスケーターを認めなかった。「白人の遊びだ」と。しかしスケボー少年たちはパンクと同じようにヒップホップを日常的に好んでいた――そんな時代である。

画期となったのがクラブ・マーズ(Club Mars)だ。日本人の創業者ユウキ・ワタナベにより、1988年12月31日にオープン。10番街ダウンタウンの荒んだ“悪所”だったが多種多様な客がパーティーに出入りし、DJを務めたのはのちに超大物として世界に名を轟かせるモービーやクラーク・ケントなど。「どんな音楽でもかける」この場所ではヒップホップとスケーターの距離も自然に縮まり、出自も人種もジャンルも問わない才能ある若者たちの交流場となった。デビュー前のジェイ・Zも姿を見せ、また“のちに映画スターになった用心棒”として、ヴィン・ディーゼルとベン・スティラーが居たという驚きのエピソードも!

この最先端の磁場となった人気ナイトクラブから、スケートブランドのズーヨーク(Zoo York)やシュプリーム(Supreme)の創設にもつながった。また著名な年長の写真家、ラリー・クラークが1995年に監督した映画『KIDS/キッズ』の大ヒットにより、現地でスカウトされたクロエ・セヴィニーやロザリオ・ドーソンらが俳優としてブレイク。地元きっての名物スケーター、ハロルド・ハンターも大役で出演したことで映画スター扱いされることに。そして史上初めてBGMにヒップホップを使用したスケートビデオのエポックな名作『Zoo York“Mixtape”』が発表される1997年まで――以上の約10年を現在の視座から総括していく内容だ。

他にも革新的なヒップホップグループ、デ・ラ・ソウルやウータン・クランらの衝撃のデビューや、コロンビア大学のブースから深夜に生放送していたアングラカルチャーラジオ“The Stretch Armstrong and Bobbito Show”(無名時代のバスタ・ライムスの貴重映像あり)、もちろんナズやノトーリアス・B.I.G.らの登場など、様々なトピックを絡めつつ、証言者にはSupremeブルックリン店店長も務めるジェファーソン・パンを始めとするプロスケーターの面々、キッド・カプリやRun-D.M.C.のダリル・マクダニエルズなど世界的なラッパー/DJたち、俳優のロザリオ・ドーソンといった当時のリアルを知る重要人物たちが大挙出演。アーカイヴ映像では様々な有名スケーターやラッパーのほか、『KIDS/キッズ』の脚本を務めた映画監督、ハーモニー・コリンの若き日の姿も見ることができる。
監督はジェレミー・エルキン。ナレーションはZoo York設立者の一人でもあるイーライ・モーガン・ゲスナーが務める。

本作を観ると、陽光降り注ぐ西海岸カリフォルニアのスケーターやヒップホップの文化とはまるで異なる、雑多な魅力と多様性に溢れた大都会ニューヨークならではの独特のスタイルが育まれたことがよくわかる。いまやそれは洗練と成熟を極め、グローバルな巨大規模の産業システムへと展開している。そのぶん高級化やセレブリティ主導の商業主義、ポーザー(格好だけのヤツ)の一般化など、保守化に呑み込まれたこともまた否めない。そんな中、ストリートカルチャーは今でも可能か? その初心や本質はどこへ行ったのか?――という問題提起を投げかける一本でもある。

STAFF

DIRECTOR

Jeremy Elkin

ジェレミー・エルキン

監督/制作

モントリオールで育ったエルキンはスケートボード、音楽と映画製作に情熱を注いでいた。2000年代には数々のスケートビデオを撮影し、その後ニューヨークへ移住。ニューヨークではヴァニティ・フェア・マガジンでビデオ制作を担当。2018年にフランス人アーティスト、JRによるブルックリンミュージアムの短編映画「The Chronicles of New York City」の撮影と監督を務める。エルキンは自身のパッションを融合させて、長編ドキュメンタリー映画デビュー作である『All the Streets Are Silent』を製作した。

ORIGINAL SCORE

Large Professor

ラージ・プロフェッサー

音楽

ラージ・プロフェッサーは1989年にヒップホップグループMain Sourceに加入。1990年、ラージ・プロフェッサーはエリックB.&ラキムのアルバム「Rhythm Hit 'Em」に含まれるトラック3曲のプロデュースを務めている。1991年には「Breaking Atoms」というアルバムをレコーディング。1992年にはレコードレーベル、ゲフィン・レコード(Geffen Records)と契約。90年代の彼は、プロデューサーとしてピートロック&CLスムース、ナズ、バスタ・ライムス、マスタ・エース、エクセキューショナーズ、ビッグ・ダディ・ケイン、モブ・ディープ、ア・トライブ・コールド・クエストなど多くの人気アーティストと仕事をしている。Main Source脱退後はア・トライブ・コールド・クエストのアルバム「Midnight Marauders」のトラック“Keep It Rollin”をプロデュース。この仕事により、彼の知名度と信頼度は上がり、今後のキャリアに大きな影響を与えた。1994年、ラージ・プロフェッサーはナズのアルバム「Illmatic」に収録された10曲の内3曲をプロデュース(“Halftime”/“One Time 4 Your Mind”/“It Ain’t Hard to Tell”)。「Illmatic」誕生にとって必要不可欠な存在となった。

INTERVIEW

ロザリオ・ドーソン (俳優『KIDS/キッズ』)
レオ・フィッツパトリック(俳優『KIDS/キッズ』)
イーライ・モーガン・ゲスナー(Zoo York設立メンバー)
ジェファーソン・パン(プロスケーター、現Supremeブルックリン店店長)
ジーノ・イアヌッチ(プロスケーター、スケートブランドPOETS創業者)
マイク・ヘルナンデス(プロスケーター)
キース・ハフナゲル(プロスケーター、ストリートブランドHUF創業者)
マイク・キャロル(プロスケーター、スケートブランドGirl Skateboards、Chocolate Skateboards、Lakai Limited Footwear共同創業者)
ジョシュ・ケイリス(プロスケーター)
ピーター・ビシ(プロスケーター)
デイブ・オルティーズ(デザイナー、スニーカーブティックDave’s Quality Meat創業者)
クレイトン・パターソン(アーティスト、写真家)
Fab 5 Freddy(アーティスト、プロデューサー、ラッパー)
クラーク・ケント(音楽プロデューサー、DJ)
ダリル・マクダニエルズ(ヒップホップグループRun-D.M.C.のメンバー)
キッド・カプリ(ラッパー、DJ、音楽プロデューサー)
クール・キース(ラッパー)
ASAP Ferg(ラッパー)
ブラック・シープ(ヒップホップグループ)
Yuki Watanabe(Club Marsマネージャー)
Moby(DJ)
ボビート・ガルシア(DJ)
ストレッチ・アームストロング(DJ)
...ほか

COMMENT

  • とにかくこの10年の間(1987-1997)に分かった事はヒップホップとスケートボードは”自由だって事”
    派閥だのルールだの決め込む奴ら本作観て出直して来やがれ!

    江川芳文

    Hombre Niñoディレクター/XLARGE デザイナー

  • 僕にとってNYCのストリートシーンの黄金期とはまさにこの時代。これほどまで当時の貴重なフッテージが残っていることに驚愕するとともに、スケートボードが記録文化であることを再確認させられる。スケートボードとHIP-HOPが融合したグラウンドゼロにあんなエピソードがあったなんて。ストリートカルチャーが好きであれば観るべき作品です。

    梶谷雅文

    VHSMAG

  • リアルタイムで影響を受けた自分には懐かしくも初めて観る映像満載で再考の連続。きっと次世代にとっては、ストリートカルチャーの本質に触れられる最高のドキュメンタリー。 ある意味、過去はいつも新鮮で未来はどこか懐かしい。

    国井栄之

    mita sneakers Creative Director

  • 90年代初期、当時の日本には伝わり辛かったNYのスケートシーン。それがNYヒップホップの台頭と共に堰を切ったように僕達の住む日本にも流れ込んできた。それはそれまでの技術至上主義的な西海岸のスケートとは全く異質なものだった。音楽的スタイルやセンスを持った、言わばアートフォーム寄りのスケートシーンに当時の僕達はただただ圧倒された。この映画は今日まで勢い衰えず続く、NYスケートムーブメントの発端と仕掛けを当時の温度感と共にリアルに伝える貴重なモノだ

    森田貴宏

    FAR EAST SKATE NETWORK

  • それはリアルなのか。それはクールなのか。 ストリートカルチャーという概念には矛盾が付きまとう。「売れる」という成功と共に現場や初心の本来性はどこか削られていく。システムの巨大化とは、民主化なのか、本末転倒の堕落なのか。あるいは、こういったジレンマとの格闘こそが当文化の魅力なのかもしれない。その最も濃密な神話の内実を映し出した傑作だ。

    森直人

    映画評論家

  • この映画で描かれてるカルチャーの影響をモロに受けて、今もまだ活動を続けてます。

    ANI(スチャダラパー)

    ミュージシャン

  • 1990年、初めてのニューヨークで行ったクラブが「マーズ」でした。この映画を観て初めて知ったのですが、この年の春に「芝浦ゴールド」でサイコーなプレイをかましていたDJクラークケントが、「マーズ」でレジデンツを勤めていたなんて知りませんでした。当時のラッパーやスケーター達が絶妙に交わって、あのNY独特のカルチャーが育っていったのだなぁ、というのがよくわかって非常に興味深かったです。

    SHINCO(スチャダラパー)

    ミュージシャン

  • 90年代のアメリカのスケートカルチャーの熱気に当時踏み出せなかった自分の悔しさが蘇る。スケーターの添え物でしかなかった女の子達も滑れる時代にはなったけれど、 歴史を作ってきたのはやはりぶっ飛んだ男達なのだ。

    マキヒロチ

    漫画家

  • “HIP HOP最高!Supreme最高!” と感じている 全キッズに、ストリートカルチャー史の 基礎教養として必ず観てもらいたい作品です。勿論、90s育ちの大人たちが観ても メチャクチャ面白いので是非。

    DJ DARUMA(PKCZ®)

    クリエイティヴ・ディレクター

  • スケーターにとってストリートは、世の中からはぐれた自分たちの居場所を確立させる事ができた原点の場所。 世界中を虜にするブランドや音楽を生み出した物語には、スケーターの原動力を高めてくれる要素が溢れてる!

    Azusa Nigo

    スケーター

  • マジでYAVAY! 雑誌や服屋のおっかねえ店員さんに、勇気出して話しかけて聞くことしか出来なかった、 90年代ニューヨークスケートシーン事情の答え合わせ。俺にとっては30年超えのご褒美すぎる。まさかこんな事が2022年に起きるとは。相方のロベルト吉野家でダラダラしながらずっと見ていた映画、“MIX TAPE”。その続編じゃ無いけど、本当にすごい映像ばっかだし、格好良すぎて一瞬でKIDSに戻りました。ヒーロー達みんな死んじゃったのはマジで悲しいけど。 あとスケートシーンとHIPHOPが融合し出す瞬間を結構ジャストで体験出来たのは宝だし、 都内からわざわざ俺達の地元DRMに滑りに来てた、有名スケーターとSUGAI KENの家で「VIDEOの音楽はHIPHOPじゃねえ!HARD COREだ!」って言ってきて、朝までケンカしたのを思い出しました。つまり最CORE!

    サイプレス上野(サイプレス上野とロベルト吉野)

    ラッパー

〈順不同・敬称略〉